自分で自分にトリッパー遊園地を納得させる
わたしのTwitterをよく見てくださる方はご承知かと思いますが、私は舞台に慣れていない。未だに。
昔っから「物語とはフリがありオチがある」「オチがなければ意味がない」「そのオチは綺麗に伏線を回収していなければならない」という奇妙な固定観念がある為(東京00年代コントの見過ぎか)
(きゅ、急に歌った…!!ふつうの人なのに!!)
(踊った!?!?なんで!?上手いね!?!?)
(何のチカラで生き返った!?!?)
とまあ、およそジャニーズの舞台で起こる事のほとんどを飲み下せないくせによりにもよってA.B.C-Zのオタクになったというやっかいな症状の持ち主だ。
初めて見に行ったえび座(プラネッツ)では首をかしげまくりながら日劇を後にした記憶がある。
ネタバレしまくってから舞台を見に行くタイプなので、トリッパー遊園地のレポはしっかり拝見していた。
劇中、ショータイム的な展開があるそうだ。
あ、これ、向いてないやつや
悟りは開いたが我が県にジャニーズが来るなんてこた一生ないであろうというビッグチャンスをふいにする選択はない。見に行くに決まっとるわ。
結果。
そんなにイヤじゃなかった。というか、普通に見れてしまった。
敵性言語を使いまくって生きてきた中で踊ったこともないはずのダンスを踊るキラキラスーツのマサヒロとショウヘイを、わあすてき!と見つめていた。
そのシーンに行きつくまでの色々なアドリブ、時事ネタ、応募ネタで次第に慣れてきたのかもしれないが、マサヒロ&ショウヘイのショウタイムが始まった瞬間
「あ、これ新喜劇だ」
と脳を切り替えることに成功した。だからその後はもう最高に楽しんだ。
新喜劇では、ヤクザがギターを器用にかき鳴らしても婦人警官がバレエを舞っても真面目な会社員が急にラップを披露してもストーリー上全く問題はない。
だって、それが演者の特性なのだから。
(松竹さんの舞台なのに吉本の方で例えてごめん)
新喜劇だなんて!と怒る人がいるならこちとら新喜劇に入りたくて子供の頃からずっと壁にぶつかる稽古をしてきた女ですよ。リスペクトしているに決まっているじゃないですか。
舞台で水を得た魚の様に躍るA.B.C-Zの河合郁人とふぉ~ゆ~の辰巳雄大は、小さい頃からの夢を叶えていた。それは、オタクとして本当に涙が出るような光景だった。
願わくばそれはトリッパー遊園地という形ではなく「河合と辰巳のユニットコンサート」として見てみたかった光景だった。
実はもう一つ、あのショウタイムの必然性を自分に納得させるために考えたものが
ありまして、「子供達にはああ見えていた」説。
実際は国民服姿の二人が慣れないステップらしきものを踏むだけの光景だったのだけれど、戦時という環境の中で子供たちにはそんなショウでもキラッキラにきらめいていた節・・・これは自分でも無理があるなと思ったのでここに書いとくだけにするね。
笑いあり涙ありの舞台の中で、河合君のコメディの才能はやはり凄かった。
間がいい。周りに振り回されても気の毒な目で見られてもぷんぷん怒ってもどこか可愛らしく、ヘタレでいばりんぼうだけど憎めない。河合君らしさに溢れていた。
河合君たのしいねえ、おもしろいねえとほのぼの見ていた舞台が、一変する。
観覧車の前で、敵機に自分を狙わせるシーン。
赤々と燃える空の下、ここだ、ここを狙えとわめき、崩れ、壮絶に倒れる。
やっぱり私が見たい河合郁人はこれだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(ハシふみの亡霊が蘇る音)
狂気と美があまりに似合うのよ河合郁人。
死の淵で美しく笑って朽ちる姿があまりにも合うのよ河合郁人。
この人はとにかくこの手の役をやりまくるべきだよ河合郁人ォオオオォオォォ!!!!!
その顔面を武器に耽美と死と狂気を専売特許にしてくれよ!!!!!毛皮のマリーとかさあ!!!!!
このシーンだけ別の演劇だと思える位、河合郁人の「この手の」才能が大爆発していた。
ハートウォーミングコメディと耽美狂気の二律背反が似合ってしまう河合郁人がこの先どんな演劇に出会うんだろう。
どうか、この素晴らしい素材をめちゃくちゃに生かしてみたい変態演出家様と出会うことを祈るばかりだ。
しかしなんで足ケガしたんだろうねマサヒロ。